東海道五拾三次、小田原宿には昔からいくつかの名物がありその一つに「みのや吉兵衛」の「いかの塩から」「梅干」がありました。
江戸時代、当店の店頭にかざられた 「名物いかの塩から、相州小田原筋違橋みのや吉兵衛」という大看板は東海道の一つの目印にもなっていました。ここで、街道を行く旅人は、梅干、塩からなどを買って、旅装をととのえて箱根越えに向かったり、これらを土産に江戸へ帰っていったのでした。
「みのや吉兵衛」の元祖、初代吉兵衛は近江地方の豪族浅井家の一族であったと伝えられています。
古くから琵琶湖の東一円に勢力を張っていた浅井一族は 戦国末期、織田信長と事をかまえて敗れ去り一族が全国に四散しましたが、吉兵衛の家もこのとき近江を去って美濃に移りました。 その後、戦乱の美濃を離れた吉兵衛は小田原の外郎家をたよりました。
当時の小田原は、平和に繁栄していた町であったと史書にあります。
以後、初代吉兵衛によって創始された「みのや吉兵衛」は梅干・塩からなど漬物類を中心にこの道ひと筋の商人道を歩むことになります。
「みのや吉兵衛」は東海道小田原宿の中でも、最もにぎやかだった筋違橋町(現/南町 国道1号線箱根口交差点あたり)にありました。その店頭に飾られていたのがこの看板たちです。



今から三百五十年程前、江戸時代のお話。当時の店主は大酒飲みの五代目吉兵衛。
ある年、イカが大漁にとれすぎてしまい、漁師たちは山のように積まれたイカを前に青息吐息。
その困ったさまを見てほろ酔い機嫌の吉兵衛、つい太っ腹になり「ようし、みんな買ってやるぞ。」大量のイカを買ってくると、コマ切れにして四斗樽に塩漬けて、「なあにこうしておけば腐らない。そのうちに値が出てくるさ」ところが、これを後でとり出して味見をすると塩からくて食べられたものではない。
さすがの吉兵衛も弱りはて、「ええい、それじゃ糀でも入れてみてやれ」と大量の糀を入れて、ほうっておいたら、これがみごとに発酵して独得の塩からに変身。客が客を呼んで大繁盛したというお話です。
小田原名物『元祖糀入いかの塩から』として旅人に愛され続けてきた四百五十年の歴史『小田原みのや吉兵衛』。
【東海道の塩から】と【小田原みのや吉兵衛の歩み】を江戸時代より伝わる看板、写真、地図、文献をとおしてご紹介させていただきます。
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